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堺線香について

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3章 天平の香り

天平時代の香
 天平時代の沈香というものは、そのほとんどが仏教伝来の時の宗教儀式(焼香供養品)に必要な物として我が国に伝来しました。「日本書紀」の香料に関する記述で「天皇元年七月、蘇我大臣が手に香炉を取り、香を焚いて仏に礼拝をした」という記載があります。さらに「天智天皇一〇年、沈水香、、その他の財宝を法隆寺に献上した」等々とあり、宗教儀式に使用されたのは確かなようです。
天平時代(八世紀)頃になると、焼香供養の場でどのような種類の香料が使われていたかが明らかになってきます。
       

【法隆寺の財産目録】
 これは法隆寺の財産目録に記載されているものです。「両」というのはどんな単位かご存知でしょうか? 一両目というのは四匁(一匁=三.七五グラム)、つまり一五グラムくらいなので、両に一五グラムをかけてもらえば当時の量が分かります。

お香の原料
 当時入ってきた香料が資料に残っています。右下に「」というものがありますが、これは非常に珍重されている香料です。この乳香をめぐって、国同士で争奪戦が行われたほどです。私もどんなものだろうと仕事上匂ってみましたが、あまり良い匂いではありませんでした。その国々で香りの好みというのは違うようです。

【大安寺の資料帳】
 ここで、珍しい動物性の香料が初めて出てきます。「麝香」がそうです。天然記念物になっている中国・雲南省の麝香鹿の生殖器です。いわゆる麝香鹿のオスのフェロモンで、メスを呼び寄せるためのもので約五〇キロ先まで届くといわれています。この麝香も私たちお香屋にとって欠かせないものですが、ワシントン条約で保護されていてなかなか手に入れることができません。
 香料は、天平時代にはいろいろな仏教の宗教儀式で使われていました。万葉集に、「青によし 奈良の都は咲く花の 匂うが如く 今さかりなり」という歌があります。「匂うが如く」というので沈香の匂いだろうと思われるかもしれませんが、そうではありません。これは天平時代に大寺院の青や朱色、極彩色の塔や大伽藍、また唐の異国情緒あふれる音楽に耳を傾け、異文化を満喫していた様を表現したものです。この頃にはまだ香りは仏教のもので、自分自身のために楽しむという価値観は無かったと思われます。
 それが次の時代、平安時代の初期になると、少し変わってきます。自分たちの香りとして調合された香りを楽しむようになっていきますが、それも唐風一色でまだ日本人としての香りではありませんでした。
 唐から入ってきたものとして、(匂い袋)、えび香、、香炉、香球などがありました。
                   
【お香の原料(和の香りの主役)「NHK趣味悠々 香りを楽しもう」より】
 大安寺(奈良市)の資料帳の記載内容があります。

お香の種類
【お香の種類(「NHK趣味悠々 香りを楽しもう」より)】

唐から入ってきた香りを楽しむ品々
 輸入された物の中に「香球」というものがあります。これは香炉の一種で、正倉院に「銀薫炉」というものがあります。ペルシャ風の透かし彫りがある、異国情緒をそそる宝物です。球形をしていて、どんなに転がしてもどんな角度になっても中の香炉は水平を保つようにできています。中で香炉を焚いてもお香がこぼれない仕組みになっているのです。

【(正倉院にある香球(銀薫炉))
(「香談-東と西」より)】
 この香球は、晋の葛供という人の「西京雑記」に記されていて、発明したのは房風という人のようです。長安のという腕の立つ職人がの香炉を作っていました。
使い方については、唐の時代の詩の中に、「のとばりを下ろし、相愛の二人が結ばれると、侍女がそっと縫取りのしてある夜具を薫ずる」と書かれています。その甘美な匂いでうっとりした二人が愛を育むような香りだったそうですが、これが臥褥の香球というものです。
   また、南宋の「老字庵記」に天子の親戚の人たちが宮廷に行く様子が出ています。婦女子が乗る牛車の牛の鞍や腰に大きな香球をつけて走らせたり、髪に付けた小さいカツラに香球を入れたりしました。牛車が走り去ると香の煙が雲のようにたなびいて素晴らしい香りがしたということです。また貴公子が乗馬を楽しむ時も、香球を鞍に付けて素晴らしい香りを漂わせたとあります。このように、球形の香炉は乗馬など腰に吊す物と、臥褥(閨房)で用いる物の二種類があったようです。
 「えび香」は、大事な衣服や書物、経巻を保存する防虫目的で使いました。同時に、その香気を出すためにも使用されたと思われます。正倉院には九包みが現存しており、包みの下部には二(七六八)年四月二六日と記されています。小さな四角の絹の中に、沈香、白檀、丁子など、その他六種香料を調合したものが入っています。特に白檀と丁子は香気とともに防虫、防腐効果が強いので、その目的を果たしました。「えび香」は当初、唐から輸入されていたが、日本でも作るようになり、源氏物語()では、「忍びやかに えびの香 いとなつかしゅう香り出る」とあるように、当時の平安貴族の中では大流行していました。
 貝の中に丸薬状のものが入っていますが、これが「煉香」です。中国では五世紀代に香料の配合を説明した「和香方」という香の専門書がありました。隋の時代には「雑香方」という専門書があったようで、その中にさまざまな香料を粉末にして蜜、あまづら(甘葛:甘味料のひとつ)を混ぜて丸薬状にして炭火で焚いたという記載があります。これが煉香薫物と言われる物です。の「黄物方」には「薫物は仏、菩提、聖衆の沈、檀に始まりて「唐国」より是をまなびうつせり」ということで、これも唐から製法を学んだようです。これは、沈香、白檀、丁子、薫陸、などをあまづら、または蜜で練り、丸薬状にしてカメに入れて約一ヶ月土中に埋めて作ります。そうすることでうまく匂いが混ざって良い感じにできあがります。作るには若干湿気が必要で乾燥していてはだめなのです。
 
【(煉香)(「NHK趣味悠々 香りを楽しもう」より)】
 この「煉香」は、私たちのところでも仕事の合間に作り方を教えています。自分たちの好きなエッセンスをいろいろ混ぜて作り、最後にツボに入れて保管します。前述のように乾燥させてはいけません。乾燥させると匂いが飛んでしまうので通常はロウで密封しています。先ほど出てきた「あまづら」は葛の一種でその汁を煮詰めたもので、とても粘着力があります。当時の我が国では代表的な糖分で、蜜の代わりにあまづらで代用していました。
       
1.種類の香を合わせる  2.良くかき混ぜる 
3.密を入れる 4.乳鉢で練る

【(煉香を作る)(「NHK趣味悠々 香りを楽しもう」より)】
 蜜は非常に貴重で、鑑真がわざわざ日本への献上品の一部として船に積んだというほどのものでした。今ではどこにでもある蜜ですが、当時は蜜の産出法がまだ分からず、貴重なものだったということがわかります。
 「香嚢」というのは「匂い袋」のことです。正倉院には恐らく世界最古といわれる香嚢が七つ現存しています。この香嚢も中国の唐から入ってきたもので、これについては有名な逸話が残っています。
 唐の時の皇帝である玄宗皇帝は、楊貴妃に香嚢を贈りました。その後「安氏の乱」で楊貴妃は殺されて仮埋葬されます。玄宗皇帝は長安に新たに埋葬しましたが、その時変わり果てた楊貴妃の身体には与えた香嚢がそのまま残っていて、それを見た玄宗皇帝は終日涙を流したということです。
 このお話にはこんな説もあります。絶世の美女楊貴妃は実は多汗症で沐浴すると水にまで匂いが移ったそうです。いわゆる、わきがですね。非常に匂いが強いので玄宗皇帝は匂い消しにこれを贈ったというのです。楊貴妃は、体臭の強い白系イラン(ペルシャ)系の混血だったのかもしれませんね。

八代目  沈香屋久次郎