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堺線香について

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香りを運んだ古道、竹内街道~4章 橘のにほへる香かも~

 滋賀県にある石山寺中興の祖であり、朝廷・貴族の信仰を集めた三代座主淳祐(じゅんゆう 890-953)のエピソードです。921年、淳祐は、醍醐天皇の命により師の観賢僧正が、高野山の弘法大師廟へ参入する際に随伴することになりました。その時、入定した大師の膝に偶然触れた淳祐内供の手に、その芳香が移り、いつまでも消えることなく、その手で書写された聖教にもその香気が移ったと伝えられます。この淳祐筆の聖教が「薫聖教」と呼ばれ、石山寺でも座主以外は見ることが許されませんでした。
 淳祐は、光源氏のモデルのひとりとされ、菅原道真の孫にあたります。

 さて、奈良時代から平安時代にかけて、他にはどんな香りが親しまれていたか、万葉集の歌などから探してみたいと思います。

 橘の にほへる香かも 霍公鳥 鳴く夜の雨に うつろひぬらむ 大伴家持

平安神宮の橘

 万葉集で人気の高い香りといえば、まずは橘の花の香りのように思います。5月に入ると、柑橘系の白い小さな花が緑の木々の中に咲き始めます。昔は夏みかんや柚子など庭先で見かけた事もありましたが、街中ではなかなか見る事が出来なくなってきたように思います。
 この花の香りは、ネロリという名前の精油の香りでアロマテラピーなどで人気の香りのひとつです。万葉の時代から花も実も木の枝も好まれていたようで、この花橘はほととぎすと対になって登場することが多いようです。

 五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする 藤原俊成

 橘の花といえば、こちらの歌の方がより知られているかも知れません。


2013.7.22掲載