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堺線香について

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2章 我が国と「香」の出会いと「沈香」について

 我が国と「香」との出会いというのは、いつ頃のことでしょうか。残されている資料の中では「聖徳太子伝歴」(五九三~六二一年)の中で、推古天皇三(五九五)年の部分に記述されています。そのまま原本を流用しますと、「土佐の国の南の海に大いなる光あり。また声あっての如し。三十日を経て夏四月淡路島の南の岸に着す。島人『沈水』を知らず、薪に交えてかまどに焼く。太子、使いを出してその木を献ぜしむ。大きさ一囲、長さ八尺なり。その香気薫ずる事はなはだし。太子見て大いに喜び、奏して言う。『これ沈水香となすものなり。又の名を梅檀香林という。』」とあります。さすが博学の聖徳太子ですね。
時の天皇は推古天皇で、このことは日本書紀にも「沈水淡路島に漂着、その大きさ一囲。島人、沈水を知らずして薪に交わしてかまどに焼く。そのり気遠く薫る。則ち異なりとして之を献ずる」と記されています。
 その後、この香木は百済のに勅命して、高さ数尺の観音菩薩を刻んで吉野のに安置されました(「」)。その頃の大和平野は、大飢饉に襲われてとても深刻な状態だったようですが、香木を安置したところ七日七晩稲光が起き、雨がたくさん降ってきて大飢饉は救われたと伝えられています。



「蘭奢待」について
 沈香は、温度や湿度など微妙なバランスの上でしか生育しないといわれています。いろいろな木がありますが、沈香ができるような木はごく僅かしか存在せず、何百本に一本という確率でしか発見できません。東南アジアなどには、この発見が難しい沈香・伽羅を採取できる能力を持つ部族がいます。彼らは沈香のできている木を見つけると道具を使って樹皮を削り取って採取します。乱獲されてはいけないので当然のことといえますが、部族に伝わる沈香の採取方法は厳重に守られ、彼ら以外には分からないようになっています。また、沈香のある木が朽ちて土中に埋まって腐っても樹脂化した部分はそのまま残ります。その部分は冷たく、ヘビがとぐろを巻いて抱いているのでそれを目当てに採取するという方法が行われていたようです。
 今、ラオス、ベトナム、インドネシア等で沈香を作り出す木の苗木を植林しています。広大な山に何十万本という木を育てています。十年くらい育てた木に小さな穴を開けてバクテリアを増殖させ、約二〇~三〇年かけて生育させるのですがなかなかうまくいかないそうです。
 私は昨年、ラオスのさる政府高官から、ベトナムとの国境に近いメコン川上流のある部族に紹介してもらい、奥地の密林の中に入りました。現地は高温多湿で三〇分もすると頭がクラクラして体力は著しく消耗します。ヒルがどこから潜入するのか足首から膝まで食らいついてきました。また、蚊に刺されるとデング熱になり、二回刺されると生命はなくなるらしいのです。当初ある程度の覚悟はしていましたが、そこは想像を絶するところでした。私もその時に十年ものの木を採取してやっとの思いでラオスから持ち帰りましたが、ぼろぼろの木で匂いもなにもしません。沈香とは全く違います。現在では沈香を国外へ出すことは厳しく規制されていますが、今回は特別な計らいによって持ち出すことができました。こうしたことから伽羅、沈香というものは高価なのが当たり前で、昔のように品質の良い沈香はほとんど手に入らなくなっているのが現状です。


【ラオスの10年物の木。中に樹脂が発生しかかっているが、沈香にはほど遠い。】
表面は単なる木ですが、削っていくと中に黒っぽい部分があります。それが沈香です。沈香にはいろいろな種類があります。



【内部に樹脂が生育している木。外側の白い部分を削り取ると沈香が現れる。】



東大寺正倉院の宝物「」

 我が国に現存する巨大な伽羅としては、正倉院にある「蘭奢待」があります。とても貴重なものですが、驚いたことに一部に切り取られた白い筋があります。これは、まず足利義政が賜り、次は織田信長、そして次に明治天皇が奈良行幸の折りに一部を削りとられたと「正倉院御物棚別目録」に記載されています。この「蘭奢待」は、一般には伽羅だといわれていますが本当のところはどうでしょうか。


【東大寺正倉院の宝物「蘭奢待」-白い紙の貼ってあるところは、足利義政と織田信長、明治天皇が一部を削り取った痕跡】


【蘭奢待の文字には東大寺という3文字が隠されている。】

 「正倉院薬物」の報告書には「これらの沈香を確かめることは大変難しく、見ただけでは分からない。組織構造を調べて比較しなければならないが、今それらの的確な材料を得られないので正確な判定は下しにくい。ただ見たところでは樹脂の沈着状況が十分とは言えない。おそらくこれはかではないか?」と報告されています。黄熟香も桟香も沈香で素晴らしいものではあるが、いわゆる伽羅といわれているものとは違うのではないかということです。
 中国、三国志時代の「南州異物史」(三世紀前半)に「沈香はベトナムに産する。香木を採取しようとする原住民は山中で香木となる木を切り倒して数年そのままにしておく。大部分は朽ちてしまうが、樹脂の部分は残っている。これを水中に入れると沈むから沈香といい、沈まない物を桟香という。」と記載されています。先ほどの「蘭奢待」は水に入れて沈めば沈香(伽羅)、水に浮けば桟香ということになります。ただ、国宝をそんなに簡単に水に入れるわけにはいきません。これはこぼれ話としてご参考までにお話ししました。

八代目  沈香屋久次郎